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福岡地方裁判所久留米支部 昭和48年(ワ)174号 判決 1975年12月26日

原告

堀正市

被告

清水司

ほか三名

主文

一  被告清水司、同清水久子は原告に対し、各自金一九〇万三、一五一円および内金一三一万七、四一〇円に対する昭和四五年一一月一三日から、内金三八万五、七四一円に対する昭和四六年一一月七日から支払いずみまで年五分の割合による金員を支払え。

二  被告南勝子、同南登志男は原告に対し、各自金一〇〇万〇、〇六五円および内金九〇万〇、〇六五円に対する昭和四六年一一月七日から支払いずみまで年五分の割合による金員を支払え。

三  原告のその余の請求を棄却する。

四  訴訟費用中、原告に生じた分はこれを五分しその各二を原告および被告清水司、同清水久子の、その余を被告南勝子、同南登志男の負担とし、被告清水司、同清水久子に生じた分はこれを五分し、その二を被告清水司、同清水久子の、その余を原告の負担とし、被告南勝子、同南登志男に生じた分はこれを三分し、その一を被告南勝子、同南登志男の、その余を原告の負担とする。

五  この判決は原告勝訴の部分にかぎり、仮りに執行することができる。

ただし、被告南勝子、同南登志男において、各自金六〇万円の担保を供するときは右仮執行を免れることができる。

事実

第一請求の趣旨

一  被告清水司、同清水久子は原告に対し、各自一八八万二、〇〇〇円およびこれに対する昭和四五年一一月一三日から完済にいたるまで年五分の割合による金員を支払え。

二  被告ら四名は原告に対し、各自三〇二万六、六〇〇円および内金二三二万六、六〇〇円に対する昭和四六年一一月七日から完済にいたるまで年五分の割合による金員を支払え。

三  訴訟費用は被告らの負担とする。

四  仮執行の宣言。

第二請求の趣旨に対する被告らの答弁

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

三  仮執行免脱の宣言(ただし、被告南勝子、同南登志男のみ申立)。

第三請求の原因

一  第一事故について

(一)  事故の発生

1 発生時 昭和四五年一一月一三日午後二時三〇分ごろ

2 発生地 久留米市上津町二、二二八番地の五一一先国道三号線道路上

3 加害車 被告清水司(以下、被告司という。)運転の軽四輪貨物自動車(6福岡は7826)(以下、清水車という。)

4 被害車 原告運転の原付自転車(広川町380)(以下、原告車という。)

5 態様 八女市方面に向けて進行していた清水車が、進行方向右側にある被告清水久子(以下、被告久子という。)経営の食堂に向つて右折するに際し、反対方向から進行して来る車両に対する回避義務を怠り、久留米市方面に進行中の原告車を看過して漫然右折進行したため、清水車と原告車とが衝突した。

6 原告の傷害の部位、程度 右事故により、原告は、頭部外傷(脳挫傷)、頭骨々折などの傷害をうけ、昭和四五年一一月一三日から昭和四六年七月一日まで二三一日間入院加療し、同月二日から同年一一月七日までの間実日数一二四日間の通院加療をした。

(二)  責任原因

被告司は清水車を保有し自己のため運行の用に供していたものであるから自賠法三条により、また、被告司はその姉である被告久子が経営する食堂に勤務しその配達業務に従事中その過失により本件事故を起したものであるから、被告久子は民法七一五条により損害を賠償する義務がある。

(三)  損害

(イ) 治療費 五〇万三、八六三円

(1) 岡村外科 四六万〇、五九六円

(2) 川崎整形外科 七、三四二円

(3) 井上耳鼻科 二万四、四五二円

(4) マツサージ 九、六二〇円

(5) 武藤眼科など 一、八五三円

(ロ) 付添費 一二万二、〇〇〇円

(ハ) 入院雑費 六万九、三〇〇円

一日三〇〇円の入院二三一日間分

(ニ) 通院雑費 二万四、八〇〇円

一日二〇〇円の実通院日数一二四日間分

(ホ) 逸失利益 六九万二、一五〇円

原告は理容師であり昭和四四年一一月一日から昭和四五年一〇月三一日まで事故前一か年の純所得は七〇万一、七六三円であつたから、原告が休業した昭和四五年一一月一三日から昭和四六年一一月七日(症状固定日)まで三六〇日間の逸失利益は六九万二、一五〇円となる。

(ヘ) 慰藉料 九七万円

入院二三一日間に対する月額一〇万円の割合による入院慰藉料七七万円と通院実日数一二四日間に対する月額五万円の割合による通院慰藉料二〇万円の合計九七万円をもつて相当とする。

(四)  損害の填補

以上合計二三八万二、〇〇〇円(千円未満切捨)の内金五〇万円は自賠責保険金として填補されたので、差額一八八万二、〇〇〇円が被告司、同久子が賠償すべき原告の損害となる。

二  第二事故について

(一)  事故の発生

1 発生時 昭和四六年一一月七日午後二時二〇分ごろ

2 発生地 福岡県八女郡広川町大字水原九三六番地の七先県道上

3 加害車 被告南勝子(旧生人見)(以下、被告勝子という。)運転の普通貨物自動車(福岡44さ4233)(以下、南車という。)

4 被害車 原告運転の原付自転車(広川町380)(以下、原告車という。)

5 態様 町道(幅員三メートル)から前記県道(幅員六メートル)に後退して進入しようとした南車が後方確認をしないまま一気に後退して右県道に進入したため、折から右県道左側を川瀬方面から上広川方面に向けて進行中の原告車と衝突した。

6 原告の傷害の部位、程度 右事故により、原告は左全上肢打撲血腫挫傷などの傷害をうけ、昭和四六年一一月八日から昭和四七年一月一七日まで七一日間入院治療し、翌一月一八日から昭和四八年一〇月一一日まで通院実日数三二八日間を要する通院治療をした。

(二)  責任原因

1 本件事故は被告勝子の過失によつて生じたものであり、また、被告勝子は被告南登志男(以下、被告登志男という。)の弟嫁であり、被告登志男の経営する鮮魚野菜店の家族従業員として勤務し、被告登志男は南車を保有し自己のため運行の用に供していたものであるから、被告勝子は民法七〇九条により、被告登志男は自賠法三条により、右事故の損害を賠償する義務がある。

2 右傷害による原告の入・通院治療は、前記第一事故における被告司、同久子の不法行為と競合する共同の不法行為によるものであり、かつ、いずれがその損害を加えたか不明であるから、被告らは全員第二事故による損害を賠償する義務がある。

(三)  損害

(イ) 治療費 五三万八、一七七円

(1) 岡村外科 四一万一、六一五円

(2) 川崎整形外科 九万二、五八八円

(3) 井上耳鼻科 二万九、九七四円

(4) 診断書料など 四、〇〇〇円

(ロ) 付添費 一万八、〇〇〇円

(ハ) 入院雑費 二万一、三〇〇円

一日三〇〇円の七一日間分

(ニ) 通院雑費 六万五、六〇〇円

一日二〇〇円の実通院日数三二八日間分

(ホ) 逸失利益 一四〇万三、五二六円

原告の事故前一か年の純所得は七〇万一、七六三円であつたから、原告が休業した昭和四六年一一月八日から昭和四八年一一月七日まで二か年間の逸失利益は一四〇万三、五二六円となる。

(ヘ) 慰藉料 七八万円

入院七一日間に対する月額一〇万円の割合による入院慰藉料二三万円と通院実日数三二八日に対する月額五万円の割合による通院慰藉料五五万円の合計七八万円をもつて相当とする。

(四)  損害の填補

以上合計二八二万六、六〇〇円(百円未満切捨)の内金五〇万円は自賠責保険金として填補されたので、差額二三二万六、六〇〇円が被告らの賠償すべき原告の損害である。

三  弁護士費用 七〇万円

原告は本訴を提起するに際し、原告訴訟代理人に対し手数料として三〇万円を、判決後成功報酬として四〇万円を支払うことを約定したから、右費用合計七〇万円も本件事故による損害となる。

四  結論

よつて、原告は、被告司、同久子に対し各自一八八万二、〇〇〇円およびこれに対する昭和四五年一一月一三日から完済にいたるまで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金、被告ら四名に対し各自三〇二万六、六〇〇円および内金二三二万六、六〇〇円(弁護士費用を控除した残額)に対する昭和四六年一一月七日から完済にいたるまで年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

第四請求原因に対する被告らの答弁

一  被告司、同久子関係

(一)  認否

1 請求原因一(一)は認める。

2 同一(二)は認める。

3 同一(三)は、(イ)の治療費のうち(1)ないし(3)は認める、(4)(5)は不知、(ロ)(ハ)(ニ)は不知、(ホ)(ヘ)は争う。

4 同二(二)2のうち被告司、同久子が第二事故の共同不法行為者として責任を負うとの主張は争う。

5 同二(三)のうち(イ)ないし(ヘ)は全部否認する。

6 同三は争う。

(二)  主張

1 原告は第二事故によつて生じた損害に対し被告司、同久子は被告勝子、同登志男とともに共同不法行為責任を負うべきであると主張するが、第一事故と第二事故の発生時、発生地は原告主張のとおりであつて、右両事故は時間的、場所的にへだたつて発生しており、共同不法行為の成立要件である行為の共同性を欠いている。したがつて右主張は不当というほかはない。

2 被告司、同久子の負担すべき責任の限度について

原告は、第一事故により昭和四六年一一月七日まで通院し、同日自賠責保険後遺障害診断書(甲第二号証の二)記載の症状を残して症状固定の診断をうけたうえ、後遺障害等級一二級一二号(頭部、左上腕、頸椎に頑固な神経症状を残すもの)の認定をうけて五二万円の支払いをうけた。

このように、原告の第一事故による症状は第二事故時においてすでに固定しており、かつ、第二事故が原告の原付自転車(原告車)運転中に発生したことを勘案すると当時原告はすでに原付自転車の運転ができる程度に症状も軽快していたというべきであるから、被告司、同久子の負担すべき責任の限度は右後遺障害等級一二級を基準とした範囲内に限られるべきである。

3 過失相殺(第一事故)

被告司は、対向の大型車の通過を待つて右折すべくいつたん停止していたが、右対向車の後方から進行して来た原告車を四五メートル位先きに確認したので、安全に右折できるものと信じて右折のため発進したところ、原告車が意外に速度を出していたため衝突したものであるところ、原告も対向車の流れだけに気をとられて右折態勢に入つていた清水車の存在すら認識せず、ただ漫然と進行したため本件第一事故が発生したことも否めないことは、原告車のブレーキ痕がないこと、衝突の際清水車を回避する措置を全くしていないことに照らし明らかである。したがつて原告にも過失があるのでその損害算定につきこれを斟酌すべきである。

4 弁済

(1) 被告久子、同司は、昭和四五年一一月一三日から同年一二月二日まで付添人の食事を毎日三食提供し、合計八、六四〇円相当の支払いをした。

(2) 原告は前記のとおり後遺障害一二級一二号の認定をうけ自賠責保険より障害補償費五二万円の支払いをうけた。

5 逸失利益について

原告は理容業を個人経営し、原告の請求する逸失利益の算定は原告一人で全部収入をあげていたことが前提とされている。しかし

(1) 社会通念上、病弱・育児など特殊の支障がないかぎり夫婦二人が右理容業に従事するのが理容業の実情である。

(2) 原告の妻イヨノも理容師の資格をもち、現に第一事故後理容に従事していた。

(3) 原告は複数の散髪台を設備している。

以上のことを考えると、第一事故前の原告の所得の少なくとも三分の一に相当する部分は原告の妻イヨノの労働による所得であり、原告主張の所得額は過大である。

二  被告勝子、同登志男関係

(一)  認否

1 請求原因一は不知。

2 同二(一)のうち、1ないし4は認める、5は被告勝子に原告主張のような過失があつたとの点は争う、6は原告が第二事故により負傷したことは認めるが右傷害の程度および原告主張の入・通院と右事故との因果関係は争う。

3 同二(二)1のうち被告勝子が被告登志男の弟嫁であること、被告登志男経営の鮮魚野菜店の家族従業員であること、被告登志男が南車の保有者であることは認めるが、その余は争う。

4 同二(二)2は被告勝子、同登志男の責任につき争う。本件は共同不法行為ではない。

5 同二(三)(四)は、慰藉料の数額につき争い、その余の損害はすべて不知、自賠責保険金支払いの点は認める。

6 同三は不知。

(二)  主張

1 過失相殺(第二事故)

被告勝子は、南車(車長三・八四メートルの普通貨物自動車)の方向転換のため、後退して県道に進入すべく、自車の後部を一・二五メートル右県道に進入させていつたん停止していた。現場付近は見とおしの悪いT字型交差点であるから、進入自動車の有無に十分注意すべきであるのに、原告は右注意を怠つたためわずか九・二メートルに接近してはじめて動きはじめた南車に気づいたものであり、この点原告にも前方不注視の過失があつた。

2 第二事故と原告の治療および休業との因果関係について

(1) 事故直後に原告を診察した柳医師は丙第一号証記載のとおり一日かぎりで治癒と診断した。

(2) 調査嘱託の回答によれば、原告は第二事故の翌日には丸一日理容講習会に出席し、この後も毎月曜日に右講習会に出席受講している。

(3) 昭和四七年の正月(第二事故の約一か月後)には、原告は正月客のため自ら鋏をとつて仕事をしている。

(4) 原告本人の症状の訴えは大げさで信用できない。

(5) 岡村医師の診断も大げさで信用できない。一四日間の付添看護を要するという診断をしているが(甲第一七号証の一)、この間原告は二日にわたり理容講習会に出席している。丙第一号証と比較して、甲第一七号証の一および二を見れば、ことさら大げさに表現しているとしか考えられない個所がある。例えば、丙第一号証では左前腕部打撲兼擦過傷となつている部分を甲第一七号証の一では左上肢打撲挫傷血腫、更に甲第一七号証の二では左全上肢血腫挫傷となつている。

(6) 岡村医師の後遺症の認定は更に恣意的である。第一事故による原告の傷害について症状固定の日を昭和四六年一一月七日としている(甲第二号証の二)。この日は第二事故発生の日であり、右診断の日は昭和四七年二月二三日である。これらの後遺症はいわゆる神経症状として総称しうるものであり、一定の期間の経過をみて症状固定の判断をするのであるが、例えば、自覚症状としてあがつている頭痛については、第二事故についても頭痛を症状としてあげられて、第一事故について症状固定の判断ができるはずがない。仮りに昭和四七年二月二三日までの間に頭痛につき症状固定した状態にあつたとするならば第二事故と頭痛とは因果関係がないということになる。その他にも首の痛みと頸頂部圧痛などのように重複するとみられる部分などあり、医師としてその判断が合理的になされたとするには大きな疑問がある。

(7) 仮りに原告においてある程度の障害が残つていたとしても、それは第一事故による後遺障害によると考えるのが相当である。第一事故による頭骨頗裂骨折を含む傷害については約一年で症状固定となつているが、単なる擦過症程度の第二事故については事故後すでに四年近くになるのに症状固定もせずに治療が続けられているということは、岡村医師が第一事故による後遺症を第二事故日で症状固定と無理に判断したためであり、むしろ第一事故による後遺症に対する対症療法がその中心となつていると考えるのがむしろ常識に合致する。

以上を総合すると、第二事故とその後の原告の治療と休業との間には因果関係はない。

第五被告らの過失相殺の抗弁に対する原告の答弁

いずれも否認する。

第六証拠関係〔略〕

理由

第一第一事故について

一  事故の発生と責任原因

この点に関する請求原因一(一)(二)の各事実は、原告と被告司、同久子との間では争いがなく、原告と被告勝子、同登志男との間においては〔証拠略〕によりこれを認定することができるから、被告司は自賠法三条により、被告久子は民法七一五条により原告の損害を賠償する義務がある。

二  過失相殺

被告司、同久子は、第一事故には原告にも過失があつたと主張するから、この点について検討するに、前記本件事故の態様に〔証拠略〕を総合すると、被告司は、清水車(軽四輪貨物自動車)を運転して久留米市一丁田方面から八女市方面に向けて国道三号線を進行し、直線道路で見とおしがよい久留米市上津町二、二二八番地の五一一先の本件事故現場において、同所の進行方向右側道路端にある勤務先の清水食堂前に清水車を停車させるべく、道路中央線寄りにいつたん停止したうえ右折して対向車線道路を横断しようとしたが、その際、前方約四〇メートルの地点を対向直進して来る原告車(原付自転車)を認めたので、かかる場合、被告司としては、直進対向車である原告車の正常な交通を妨害しないよう原告車が清水車の側方を通過し終るまで右折横断を一時差し控えるべきであるのに、右回避義務を怠り接近中の原告車の進路前方を無理に右折横断しようとしたため、右折をはじめた清水車と直進して来た原告車とが衝突したこと、一方、原告は原告車を運転して前記国道を八女市方面から久留米市方面に向け時速約四〇キロメートルで進行し、前記事故現場にさしかかつた際、錯綜する対向車に注意を奪われてその進路右前方で右折の態勢にあつた清水車に気がつかなかつたため、その動静に注意することなく時速約四〇キロメートルのまま直進を続けた結果、衝突直前になつてはじめて右折して来る清水車を発見してこれを回避しようとしたが間に合わず、清水車の右側前部と自車の右側とが衝突して原告車もろともその場に転倒したことを認めることができ、これに反する証拠はない。

右事実によれば、事故現場は見とおしのよい直線道路であるから、特段の反証がないかぎり、直進車である原告車を運転していた原告は、通常の注意力をはらえば当然その進路右前方で右折態勢にあつた清水車を認め得た筈であり、もし原告においてその進路前方において右折態勢にある清水車を認め得た以上、その動静に注意し、事故を未然に防止すべき安全運転義務(道交法七〇条)があるのに拘らず、原告は錯綜する対向車に注意を奪われて清水車に気が付かなかつたため、事故防止のための右安全運転をしなかつたことも加つて本件事故発生に至つたことを否定することができず、この点において原告にも過失があつたというべきである。

以上認定の両者の過失の内容・程度を勘案すれば、その過失割合は被告司が八五%、原告が一五%と見るのが相当である。

三  原告のうけた傷害の部位・程度およびその治療経過ならびに後遺症右事故により、原告が頭部外傷(脳挫傷)、頭骨々折などの傷害をうけ、昭和四五年一一月一三日から昭和四六年七月一日まで二三一日間入院治療し、同月二日から同年一一月七日までの間実日数一二四日間の通院治療したことは前記のとおりであり、〔証拠略〕によれば、次のとおりの事実を認めることができ、これを左右するに足る証拠はない。

(一)  傷害の部位・程度

右事故により転倒した際、原告は頭部などを地上で打ち、頭部外傷Ⅱ型(脳挫傷)、頭骨々折、右手部、右大腿膝関節打撲傷、右腓骨々折、外傷性シヨツク、頸椎捻挫などの傷害をうけた。

(二)  治療経過

1 昭和四五年一一月一三日から昭和四六年七月一日までの二三一日間岡村外科入院

2 昭和四六年七月二日から同年一一月七日まで同病院通院(実日数一二四日間)

3 同年一月二六日武藤眼科通院

4 同年二月二四日から同年一一月六日まで井上耳鼻科通院(実日数七四日間)

5 同年五月二四日久留米大学医学部付属病院(眼科)通院

6 同年九月一三日から同月三〇日まで川崎整形外科通院(実日数六日間)

7 同年九月一三日富田眼科通院

8 医師の同意を得て、項部痛持続、右下肢痛、腰痛などの治療のため、同年一月一六日から同年二月八日までの間一四回、同年七月二日から同年八月二二日までの間七回にわたり萩尾鍼灸院でマツサージ治療

(三)  症状と後遺症

岡村外科に入院当初の傷害の部位・程度は前記のとおりであり、その症状は、脈搏頻数微弱、血圧八〇ないし四五、口唇チアノーゼ、冷汗などシヨツク症状を呈し、意識レベル低下、打撲症の圧痛腫脹があり、四八時間後に意議明瞭、骨折痛激甚、血腫高度であり、脳波に異常が見られた。やがて、頭痛、めまい、難聴、頸部痛、肩および肩関節部左上肢疼痛、腰痛などの自覚症状があらわれたが、昭和四六年一月二五日の眼科受診の結果では眼底神経に異常なく、同年二月二四日の耳鼻科受診の結果では左神経性難聴(めまい、耳鳴り著明―メニエル症候群)要治療と診断され、同年三月九日脳波には異常が認められなくなつた。しかしその後も頭痛、めまい、項部の疼痛やしびれ感、腰痛などが持続したので同年三月一五日脳神経外科で受診したところ著変はなく、同年七月岡村外科を退院した当時も右症状は残存していたのでなお同外科および川崎整形外科に通院していわゆるむちうち症状に対する治療としての頸推牽引、超音波治療、鎮痛消炎剤服用などの療法をうけ、同年一一月七日をもつて症状固定と診断されたが、当時はまだ項部、左上肢、頸椎に頑固な神経症状(疼痛、しびれ感)の後遺症が存し、家業の理容師の仕事はまだできなかつたものの、原付自転車に乗つて通院できる程度に身体の機能はかなり回復していた。

右のような傷害の部位、程度、治療経過、症状、後遺症によると、原告の右事故による傷害の程度はかなり重く、殊に頸椎捻挫を伴う頭部打撲によるむちうち症の症状が著明であつて、治療も右症状に対する対症療法が主であり、昭和四六年一一月七日症状固定と診断された当時も前記後遺症が存していたもので、その程度は自賠法施行令二条、別表一二級一二号に該当するものであつたと認められる。

四  損害

(一)1  治療関係費 五〇万三、八六三円

前認定の治療関係の費用として原告は次のとおり出費をした。

(イ) 岡村外科に四六万〇、五九六円、川崎整形外科に七、三四二円、井上耳鼻科に二万四、四五二円を支払つたことは原告と被告司、同久子との間では争いがなく、原告と被告勝子、同登志男との間においても弁論の全趣旨によりこれを認めることができる。

(ロ) 〔証拠略〕によると、前記マツサージ治療代として九、六二〇円を支払つたことが認められ、これに反する証拠はない。

(ハ) 〔証拠略〕によると、武藤眼科に四〇五円、久留米大学付属病院に六四八円、冨田眼科に八〇〇円計一、八五三円を支払つたことが認められ、これに反する証拠はない。

2  付添費 一二万二、〇〇〇円

〔証拠略〕によると、岡村外科に入院中昭和四六年二月末ごろまでギブスを固定して治療をうけていたため付添人をつけざるを得ず、その費用として一二万二、〇〇〇円を支払つたことが認められ、これに反する証拠はなく、前認定の原告の傷害の部位、程度、症状および治療状況によると、右程度の費用は治療のため必要かつ相当であつたと認められる。被告司、同久子は、右付添人に対し八、六四〇円相当の食事を提供したから右額は付添費の一部として弁済ずみであると主張するが、右認定の付添費に付添人の食事代も含まれるものであることを認めるに足る証拠はないから、右主張は理由がない。

3  入院雑費 六万九、三〇〇円

岡村外科の入院日数は前記のとおり二三一日であり、その間一日あたり三〇〇円を下らない雑費の支出が必要であつたことは経験則上明らかである。

4  通院雑費 一万八、六〇〇円

岡村外科の通院実日数は前記のとおり一二四日間であり、〔証拠略〕により認め得られる原告方と同病院間の距離などを考慮すると、その通院交通費など通院雑費として一日あたり少なくとも一五〇円程度の支出が必要であつたと推認するにかたくない。

5  逸失利益 四八万三、一九〇円

〔証拠略〕を総合すると、原告は自宅店舗で理容業を営み、妻イヨノも理容師の資格を有し家業のかたわら原告の営業を援助し、本件事故当時の両名の仕事量は、概ね原告が七、イヨノが三の割合であつたこと、原告方店舗の事故前一か年間(昭和四四年一一月から昭和四五年一〇月まで)の純利益は少なくとも七〇万円程度であり、したがつて、原告の寄与分による純益は約四九万円(月額約四万〇、八三三円)であつたこと、原告は前記のように昭和四五年一一月一三日からその症状が固定した昭和四六年一一月七日までは前記受傷および症状、その治療のための入通院、右症状による神経性疼痛のため理容師としての仕事をすることができなかつたことを認めることができ、これを左右するに足る証拠はない。

右によれば、原告の右休業期間の逸失利益は四八万三、一九〇円となる。

6  慰藉料 八〇万円

前認定の原告の傷害の部位、程度とその症状、入通院日数および原告自身の過失の内容、程度その他前認定の諸般の事情を一切勘案すれば、原告が本件事故でうけた精神的苦痛(後遺症に対する分をのぞく。)に対する慰藉料は八〇万円をもつて相当と認める。

(二)  以上認定の1ないし5の損害合計一一九万六、九五三円に過失相殺すると、右損害中の被告司、同久子の責任額はその八五%にあたる一〇一万七、四一〇円となり、これに前記慰藉料八〇万円を加えると一八一万七、四一〇円となるところ、原告が自賠責保険金五〇万円を受領したことはその自認するところであるから、これはすでに損害の填補があつたものとして右損害額から控除すると、原告が被告司、同久子に支払いを求めうる第一事故の損害は一三一万七、四一〇円となる。なお、被告久子、同司は、原告は自賠責保険から後遺症補償金五二万円の支払いをうけたから、右額についてもすでに損害の一部填補がなされたと主張し、原告も右保険金の受領は明らかに争わないが、原告は本訴において症状固定後の後遺症にもとづく損害金は一切請求していないこと記録上明らかであるから、右主張は採らない。

第二第二事故について

一  事故の発生と責任原因

〔証拠略〕によると、この点に関する請求原因二(一)1ないし5の各事実および同6の事実中原告が右事故により受傷した事実、ならびに同二(二)1の事実を認めることができ、これを左右するに足る証拠はない(右事実中、請求原因二(一)1ないし4の各事実および同6の事実中原告が右事故により受傷した事実、同二(二)1の事実中被告勝子が被告登志男の弟嫁であり、被告登志男経営の鮮魚野菜店の家族従業員である事実および被告登志男が南車の保有者である事実は、原告と被告勝子、同登志男との間では争いがない。)。

右によると、被告勝子は民法七〇九条により、被告登志男は自賠法三条により原告が第二事故によつて蒙つた損害を賠償する義務がある。

二  過失相殺

被告勝子、同登志男は、第二事故について原告にも過失があつた旨主張するので、更にこの点について検討するに、前認定の本件事故の態様に〔証拠略〕を総合すると、被告勝子は、八女市広川町大字水原九三六番地の七県道において、上広川方面に向け別紙見取図<1>点(以下、すべて符号のみで示す。)に駐車させていた南車(普通貨物自動車、車長三・八四メートル)を反対方向の川瀬方面に向けて方向変換させるべく、いつたん発進して交通整理が行なわれていない同所T字交差点を左折したうえ後退しながら南車の後部を右県道に進入させ、後向きのまま<2>点でいつたん停止して右県道の左右を確認したが、その際川瀬方面に対する確認を充分にしなかつたところから、折から同方面より上広川方面に向け進行して来ていた原告車(原付自転車)に気付かず<2>点から<3>点まで急に後退したため、右県道上<3>点において、南車の左側後部と原告車とが衝突したこと、一方、原告は原告車を運転して右県道上を川瀬方面から上広川方面に向け時速約三五ないし四〇キロメートルで進行し、前記交差点手前<ア>点付近まで来たとき、前方<2>点付近を後退しながら右県道に進入しようとしていた南車を認めたが、その後方を通過できるものと軽信した結果、同車の動静に充分注意せず前記速度のまま南車の後方を通過しようとしたため、原告車に気付かず<2>点から急に<3>点まで後退して来た南車の左側後部角と原告車の左ステツプ付近とが衝突し、原告車はそのはずみで約一一メートル逸走して転倒したことを認めることができ、これを左右するに足る証拠はない。

以上によれば、原告は進路前方の交通整理が行なわれていない交差点において自車進路内に後退しながら進入しようとしていた南車を認めたので、その動静に注意し事故を未然に防止すべき安全運転義務(道交法七〇条)があるのに、南車の後方を通過できるものと軽信して右注意義務を怠り、南車の動静に注意することなく前記速度のまま南車の後方を通過しようとしたことも本件事故発生の一因であることが認められるから、この点において原告にも過失があつたというべきである。そして、右認定の両者の過失の内容、程度を勘案すると、その過失割合は、被告勝子が八〇%、原告が二〇%と見るのが相当である。

三  共同不法行為の主張について

原告は、第二事故による損害は第一事故による損害と競合して発生したものであるから、第二事故は第一、二事故全加害者(被告ら全員)の共同不法行為にあたると主張するが、第一事故と第二事故とは時間的にも場所的にも全く関連性のないものであることは前認定のとおりであるから両事故が共同不法行為とならないことは明らかであり、右主張は採り得ない。そして、本件のような第一、第二の同種異時発生の事故については後発の第二事故の損害は両事故の各加害者の寄与度に応じその損害賠償責任の範囲を定めるのが相当である。

四  原告のうけた傷害の部位、程度およびその治療経過

〔証拠略〕を総合すると、次のような事実を認めることができる。

(一)  原告は、前記のとおり、第二事故の日である昭和四六年一一月七日当時も、なお第一事故の受傷による頭項部、左支肢、頸部の頑固な神経症状や耳なり、吐気、難聴、めまいなどの症状が消失していなかつたので、その治療のため原告車(原付自転車)に乗つて通院する途中、第二事故にあつたこと。

(二)  第二事故において、原告車の左ステツプと南車の左側後部角とが衝突し、そのはずみで原告車は約一一メートル逸走して転倒したため、原告は左半身を打撲し、事故直後応急手当をうけた柳病院において、左前腕、腰部、両膝打撲兼擦過傷として診療をうけたが頭部打撲の主訴および所見はなく、原告は特に腰部、両腹部の打撲による疼痛を訴えていたにすぎず、当時、肉眼的所見では軽度の打撲擦過傷であり、X線検査の結果によつても骨折などの異状は全く見受けられず、原告は歩いて診療を受けに来た位であつたので、原告を診療した同病院の柳医師は全治約一〇日間の傷害と診断したうえ、応急手当をし三日分の鎮痛消炎剤を投与し、痛みがひどくなつたら通院するよう指示してそのまま帰宅させたところ、原告はその後通院しなかつたので、同医師は右治療で完治したものと考え、その後原告を全く診断することなく昭和四七年五月二〇日作成の診断書(〔証拠略〕)には、昭和四六年一一月七日をもつて治癒した旨記載したこと。

(三)  原告は、第二事故後、右事故により受傷した各打撲傷の内出血部が血腫となつて痛みがはげしくなるとともに、第二事故前一時緩和していた第一事故による前記1掲記の各神経症状がまた強くなつたので、その治療のため前記岡村外科に昭和四六年一一月八日から昭和四七年一月一七日まで七一日間入院し、同年一月一八日から同年二月二〇日まで通院(実日数三四日間)したが、前記症状がなかなか消失しないので、むち打ち症の治療に評判がよかつた川崎整形外科に転医して同年二月二三日から通院をはじめ、主として頸椎牽引、超音波治療、疼痛鎮痛などの治療を続け、昭和四八年一〇月一一日当時もなお右通院治療を継続し、当日までの通院実日数は三二八日に達した。また、原告は第二事故後も引続き第一事故後の症状である耳鳴り、難聴の治療のため前記井上耳鼻科に通院し、昭和四六年一一月から昭和四八年六月までの通院実日数は一六八日に達したが、第二事故後の各自覚症状の方が第二事故直前ころの各自覚症状よりも重くなつたこと。

(四)  原告の頭痛、吐気、目まい、耳鳴り、肩胛部や腰の神経性疼痛は一進一退を続けて根治せず、現在もなおその症状は消失するに至つていないが、しかし、原告はすでに昭和四七年八月からは再び原付自転車に乗るようになり、同年九月には妻イヨノとともに店に出て客の散髪をする姿も見受けられ、そのころからは鋏みや剃刀は完全に使用できなくとも少なくとも店の雑用程度は可能な状態になつたこと。

以上のとおりであり、原告本人尋問の結果中右認定に副わない部分は〔証拠略〕と比照して措信できず、また前認定の(二)の事実に照らすと〔証拠略〕によつても右認定を動かすに足りず、他に右認定を左右するに足る証拠はない。

五  以上認定の両事故の態様、各受傷の部位、程度、症状、治療経過に照らすとその事故の態様、受傷の程度は第一事故の方が重く、ことに第一事故では原告は頭を地面で打つて脳挫傷、頭骨々折、頸推捻挫というむち打ち症状の原因と見られる蓋然性が高い傷害をうけたのに対し、第二事故では主として左半身の打撲というむち打ち症の原因と見られる蓋然性が低い傷害をうけたものであるのみならず、第一、第二事故を通じての主な症状はいわゆるむち打ち症的症候群であり、ことに第二事故当時なお第一事故による右症状は根治していなかつたことも充分うかがわれるから、第二事故後の症状に第一事故による受傷がかなりの程度影響を与えたであろう蓋然性は高い。しかしながら、前認定のとおり、第二事故の際は原告はすでに原付自転車を運転して通院(原告方と通院先の岡村外科や井上耳鼻科とがかなりの距離があることは顕著な事実である。)できる程度にかなり回復していたものであるうえ、第二事故後の自覚症状は右事故直前ころのそれよりも重かつたものであるから、第二事故が引き金となつて第一事故後の症状が更に加重されたであろう蓋然性も否定できない。そこで、以上認定の両事故の態様、各受傷の部位、程度、症状、治療経過、原告自身の回復の状況など本件諸般の事情一切を検討すると、第二事故による症状については、第一事故に基因する分が三〇%、第二事故に基因する分が七〇%程度であると認めるのが相当である。

六  損害

(一)1  治療関係費 五三万八、一七七円

〔証拠略〕によれば、原告は治療関係費として、次のとおりの支払いをしたことが認められ、これに反する証拠はない。

(イ) 岡村外科 四一万一、六一五円

(ロ) 川崎整形外科 九万二、五八八円

(ハ) 井上耳鼻科 二万九、九七四円

(ニ) 診断書料など 四、〇〇〇円

2  付添費 一万八、〇〇〇円

〔証拠略〕によれば、原告は岡村外科に入院した当初一五日間付添人をやといその費用として一万八、〇〇〇円を支払つたことが認められ、これに反する証拠はない。そして、前認定の原告の症状から見て右程度の費用は必要かつ相当であると認められる。

3  入院雑費 二万一、三〇〇円

岡村外科の入院日数は前記のとおり七一日であり、その間一日あたり三〇〇円を下らない雑費の支出が必要であつたことは経験則上明らかである。

4  通院雑費 四万九、二〇〇円

岡村外科の通院実日数は前記のとおり三二八日であり、弁論の全趣旨により認め得られる原告方と同病院間の距離などを考慮すると、その通院交通費など退院雑費として一日あたり少なくとも一五〇円程度の支出が必要であつたと推認するにかたくない。

5  逸失利益 八五万五、五八一円

原告が本件事故前理容師として少なくとも月額約四万〇、八三三円の純利益を得ていたことは前認定のとおりであり、前記認定の原告の受傷の程度、入通院の経過、症状に照らすと、原告は、昭和四六年一一月八日から昭和四七年七月末日までは、右受傷による入通院および症状のため全く就業ができず、昭和四七年八月一日から原告主張の昭和四八年一一月七日までの間は症状もかなりおさまり、平均して前記純利益の約二〇%に相当する額の収入を得る程度に回復したと認めるのが相当であるから、結局、原告は昭和四六年一一月八日から昭和四七年七月末日までは月額四万〇、八三三円の割合による得べかりし利益を喪い、昭和四七年八月一日から昭和四八年一一月七日までは月額三万二、六六六円(前記四万〇、八三三円の八〇%にあたる額)の割合による得べかりし利益を失つたことになり、右逸失利益の合計は八五万五、五八一円となる。

6  慰藉料 六〇万円

前認定の原告の傷害の部位・程度とその症状、入通院日数および原告の過失の内容・程度その他本件に顕われた一切の事情を勘案すると、原告の本件事故によつてうけた精神的苦痛に対する慰藉料は六〇万円が相当である。

(二)  以上認定の1ないし5の損害合計一四八万二、二五八円に過失相殺すると、右損害中原告が加害者に賠償を求め得る額はその八〇%にあたる一一八万五、八〇六円となり、これに前記慰藉料六〇万円を加えると一七八万五、八〇六円となるところ、原告が自賠責保険金五〇万円を受領したことはその自認するところであるから、これはすでに損害の填補があつたものとして右損害額から控除すると、残額は一二八万五、八〇六円となる。そして、右損害額は被告司、同久子がその三〇%、被告勝子、同登志男がその七〇%の割合においてその責任を分担すべきこと前叙のとおりであるから、結局、原告が第二事故につき被告らに賠償を求めうる額は、被告司、同久子に対しては三八万五、七四一円、被告勝子、同登志男に対しては九〇万〇、〇六五円となる。

七  弁護士費用

以上のとおり、原告は被告司、同久子に対し一七〇万三、一五一円、被告勝子、同登志男に対しては九〇万〇、〇六五円の支払いを求め得るところ、原告が本件訴訟の提起と追行を原告訴訟代理人に委任したことは記録上明らかであり、本件事案の内容、審理の経過、認容額に照らすと本件事故の損害となすべき右弁護士費用は被告司、同久子に対する分として二〇万円、被告勝子、同登志男に対する分として一〇万円とするのが相当である。

八  結論

以上によれば、原告は被告司、同久子に対し一九〇万三、一五一円および内金一三一万七、四一〇円に対する昭和四五年一一月一三日から、内金三八万五、七四一円に対する昭和四六年一一月七日から支払いずみまで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の各自支払いを求めることができ、被告勝子、同登志男に対し一〇〇万〇、〇六五円および内金九〇万〇、〇六五円に対する昭和四六年一一月七日から支払いずみまで前同様年五分の割合による金員の各自支払いを求めることができるので、原告の本訴請求を右限度で認容し、その余は失当として棄却することとし、民訴八九条、九二条、九三条、一九六条を運用して主文のとおり判決する。

(裁判官 松村利智)

第二事故現場見取図

<省略>

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